2008/3/6~2017/6/12 愛猫の記録。

6/12 愛猫が息を引き取った。

死因は心筋症、まだ9歳3ヶ月だった。

もともと身体が弱くて、ご飯も特別なものをあげていた。

心筋症も遺伝性のものらしい。早すぎる。突然すぎる。

もう会えないなんて意味がわからない。

もっとたくさん一緒にいたかった。

 

愛猫の名前はノア

スコティッシュフォールドの男の子。

心の整理と記録のためにノアについてたくさん書きます。

それが少しでも誰かに響いて、家族をもっと大切にしてくれたりなんかしたら素敵だなと思います。

感情のおもむくままに書いたので

意味がわからないところばかりかもしれないけど許してください。

 

■出会い

ノアがうちに来たのは9年前、私が中学1年生の時だった。

出会いは本当に唐突、学校から帰ったら家に猫がいたのだ。

なんか黒いのいる!?と思ったら猫だった。

母が里親募集のサイトからもらってきたとのこと。

その頃家にはすでに犬が4匹いて、もし相談されていたら止めていたと思う。

当時はびっくりしたけれど、勝手にもらってきてくれて本当に良かった。

 

ノアという名は母がつけた。

そう言えばあの時、これまたクサい名前にしたなと思ったな。

 

最初の頃は伸ばした手をたくさんひっかかれた。

布団から出た足を噛まれた。

たくさん傷ができて痛かったけど、

早く仲良くなりたくてたくさんじゃれた。

学校から帰るのがすごく楽しみだった。

 

■日常

一緒に遊んだりご飯をあげたりしていたら

いつの間にかひっかかれなくなって噛まれなくなって

ノアと私はとっても仲良しになった。

 

ノアは猫にしては間抜けな子だった。

キャットタワーからずり落ちたり

机に乗ろうとして乗り切れなかったり

棚の物うまくかわせなくて落としたり、

そう言えばピザ食べてる時に机に飛び乗ってきて

ピザに足突っ込んですごい顔してたこともあったな。

 

本当は良くないとは思うけど、

うちの犬猫の中でも私にとってノアは特別だった。

ノアがダントツで懐いてくれた。

 

そう、私もとにかくノアが大好きだったけど、ノアもとにかく私が大好きだった。

私のことを一番好きな男の子はノアだね、なんてずっと思ってた。

 

朝起きて苦しいと思ったら首元にいたり

机でノート広げたらその上に乗ってきたり

髪ゴムを舐めてぐちょぐちょにしたり

鞄や服の上で寝て毛だらけにしたり

腕を枕にされて動けないなんてこともしょっちゅうあったな。

私にばっかりそういうことしてきたな。

喉を鳴らしてよく寄ってきたな。

もっと可愛がっておけば…って後悔が全然ないのは救いだよ。

 

もふもふしててよく毛玉ができたね。

たくさん写真を撮らせてくれたね。

外に出したら怯えて私にしがみついたね。

お風呂じゃすごいしおらしかったね。

 

嬉しいことがあったらノアをワシャワシャして

辛いことがあったらノアを抱きしめて

9年間ノアは私の支えになってくれていた。

 

■さいご

前日からひどく大人しかった。

そういうのはたまにあったし

急に暑くなったからかななんて軽く捉えていた。

でも、亡くなった日、

夜バイトから帰っても昼と同じ場所にいて、

撫でたら喉は鳴らすのに全然動かなかった。

心配で抱き上げたらノアは失禁していた。

ちょうど母が帰ってきて、すぐに病院に連れて行った。

お薬をもらってすぐ帰ってくるだろうと思ってた。

でも、しばらくして母から「ダメ」というLINEが来た。

走って病院に行った。

ダメって、どういうことかよくわからなかった。

だってまだ10歳にもなってないのに。

 

病院に着いたらノアは管に繋がれてギリギリの状態だった。

心筋症で、もう心臓がうまく動かせなくなってた。

少ししてノアは息を引き取った。21時くらいだったと思う。

私が抱いて家まで帰った。

 

もっと早く病院に連れて行っていれば違っただろうか、

なんて考えても仕方ないのはわかってるけど、違ったんだろうか。

 

■それから

死んだなんて何かの間違いで、また起き上がるんじゃないかって思った。

夜は冷たくなったノアと一緒に寝た。よく一緒に寝てたからもう一度一緒に寝たかった。

ノアが生き返る夢をみた。

朝起きても、ノアは動かなかった。

完全に硬くなったノアに触れて、もう撫でても喉を鳴らしてくれることはないんだと思った。涙がとまらなかった。前日にも散々泣いたのにね、枯れないものだね。

 

ノアを抱えた時、硬くなった身体から伸びた手の爪が私の腕にひっかかって、小さな傷ができた。

一生消えなければいいのにと思うけど、これも直に消えてしまう。

 

動物霊園というのがあって、連絡するとお迎えに来てくれる。

火葬してほしいものと一緒に亡くなった動物を箱にしまってお願いする。

 

13日の10時半頃、ブラシをかけてよく撫でて、

最後にもう一度抱きしめてからノアを霊園の方にお願いした。

数日後に遺骨を受け取りに行く。

 

家にはノアの爪と毛を少し残した。

箱には私の爪を入れた。

世界は違ってしまったけど、ノアと私はこれからも繋がってる。

私の大切な家族で、一番の友達。

 

ノアの死から2日経って、14日

ノアは私の守護霊になってるから逆にずっと一緒!

なんて思うようにしてるけど、

ふとした瞬間、どこかなとか、そろそろご飯欲しいかなとかつい考えて、もういないことに気付く。

9年間、それが日常だったんだからしょうがないよね。

ゆっくりゆっくりノアがいない生活に慣れていかなきゃいけないね。

 

ノアに恥ずかしくないように頑張って生きるから待っていてね。

今まで本当にありがとう。

 

どうか安らかに、幸せであることを祈っています。

 

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『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』

無気力な土曜の昼、

救いを求めて『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』を観に行った。

 

そんな資格はないのに美香に自分をダブらせてボロボロ泣いた。

私は美香ほど繊細でもないし気高くもない。

美香は自分を貶めていたけど、そんなことする必要ない。

君は美しい。

 

東京の多くの人は

たくさんの問題から目を背けて

薄っぺらな話をして酒飲んで騒いで

手近な人との恋愛ごっこに一喜一憂して

バカで愚かだ。

 

そんな人が寄せ集まったこの街はクソだ。

女もクソ、男もクソ、みんなクソ。

この腐った街に希望なんてものはない。

 

でも、そう思う自分と向き合わず、街を受け入れることもせず、

それでいてそこに紛れようとする私が一番バカで愚かだ。

中途半端な私はただの異物。

誰にもどこにも受け入れられず、居場所なんてものはない。

 

映画の最後、彼らに置き去りにされた気がして苦しくなった。

最高で最悪の映画だった。

 

この腐った街を独りで生きるくらいなら、

私は死んでしまいたい。

 

私にも今日と明日が光って見えるときが来るだろうか。

光る今日と明日を見るために、私は少しでも変われるだろうか。

 

『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』が私にもたらしたのは、救いなんかじゃなかった。

むしろ観なければ良かったとさえ思う。

 

でも作ってくれてありがとう。

こんな映画が生まれる街なら、少しくらい希望もあるかもしれないね。

 

本気になれない。

就活に失敗したら生活できないのに、全然本気になれない。

エントリーしたのは結局10社くらいだろうか。

資格も持たず、あがり症の私が、人気業界を10社なんて、

ちゃんとどこかに決まるのか?

きっともっと焦るべき状況だ。

でも全然焦ることができない。

だって今までなんとかなってきたから。

 

幼稚園生~小学6年の夏前までサボりながらも塾に通っていた私は、小学生の時は言わずもがな、中学生の時も成績優秀だった。そしてそこそこ良い高校に推薦で合格。

高校でもそこそこの成績を修め、先輩が築いてくれた指定校推薦の枠を使って学歴ステップアップ。

特別勉強を頑張った覚えはない。

最大限楽な方法で得られる最大限良い学歴。

そうしてクズができあがった。

 

大して頑張らなくてもなんとかなってきたから、なんとかなるだろうと思ってる。

というか、頑張らなくてもなんとかなる範囲内で満足してきた。勉強だけじゃなくて、趣味や部活も、高みを目指さなかった。努力をしなかった。打ち込まなかった。

愚かな人間だ。

 

努力か挫折をしておくべきだった。

なんでこんな、一番将来がかかっている就活になって、ようやく。

 

就職浪人はできない。

就活に失敗したらどうするんだろうか。失敗することをリアルにイメージできない。どこかに決まるだろうと安易に考えている。世の中そんなに甘くないと、一応ささやく自分がいる。

 

本気になれない。

何に本気になればいい。

本気に、本気で、大学生のうちに何か。

愛は怖い。

友愛でも恋愛でも家族愛でも、愛は怖い。
愛することも愛されることも怖い。
幸せになるのが怖い。お別れするのが怖い。愛されなくなるのが怖い。愛せなくなるのが怖い。

 

いついなくなってしまうともわからない人を愛して、それでみんないなくなって、傷つくのは自分だ。
愛してくれる人を傷つけてしまうのは自分だ。私には愛される価値なんてないのだ。
愛する誰ともお別れをしたくない。誰も傷つけたくない。でもそんなことは叶わない。だったらそこまで思わないように、傷つかないように、傷つけないように、いつでも1人で生きられるように、すべての人と適度な距離感を。

 

愛する覚悟も愛される覚悟もなくて私は一体どうしようか。
私のような人間が幸せになれるはずも、なって良いはずもない。

 

なんでこんな人間になってしまったんだろう。

 

でも最近はね、ちゃんと生きたいと思っては、愛を怖がらないようにしようと思っては、いるんだよ。前進はしてる。

頑張って生きるよ。

 

 

人は簡単に死ぬ。

そう、簡単に死ぬ。

この年齢になれば、お葬式の1つや2つ、3つや4つ。

 

人が死ぬのは悲しい。

でも、死んだ人がいて、今の私がいる。

その人の死が無ければ今の私はいないかと思うと、これはこれで良かったのかもしれない、と思う。

そう思えるようになった。

ここまでくるのに12年、死は確実に私の人生を変えた。

 

その人のことを忘れたわけではない。もちろん、死んでよかった、と思うわけでもない。

死んでなければ、と思うことがほぼ無くなったというだけだ。

 

その人のことを忘れることは一生無いだろう。

 

今日話した人が、またねと言った人が、一緒にいたいと思った人が、明日も生きているとは限らない。

私も、生きているとは限らない。

人は簡単に死ぬ。

だから大切にしたい人のことをちゃんと大切にして、伝えたいことはちゃんと伝えて生きていかなきゃいけない。

 

当たり前のことをよく忘れてしまう。

春に殺される。

最近いよいよ春めいて、しぶしぶ家を出た途端、とうとう
「春に殺される」
そう思った。

 

春は嫌い、と言うほどじゃないけど、好きではない。
だって、花粉は飛ぶし何を着ればいいかわからないし、もやもやした暖かさで嫌になる。
せっかく仲良くなった人とお別れして、新しい人と出会う。にこにこして話を振って、億劫だ。出会いと別れを繰り返して何になる。

 

とか言って、去年は割と新歓を楽しんでいたから都合が良い。今年も大丈夫だろうか。

 

3月に入ってから想像以上に就活就活就活で、1,2月ののんびり具合が嘘みたいに余裕がない。今日もこれからインターンである。
精神の余裕までは失わずに夏を迎えたいものだ。

ブログを始めることにした。

ブログを始めることにした。

「ブログを始めたいんだけど何でやればいいのかわからない」と友達に言ったら「はてなブログ!」と返ってきたからはてなブログにした。

 

IDに日付のような4桁を入れるとまるで自分の誕生日みたいだけど、私は2月19日生まれではない。ネットで名前が必要な時に使っている、本名をもとにした「sen」は流石に使われていて、何か付け足すにも誕生日はなんだか照れくさくて、じゃあ記念に今日の日付でもつけとくか、と考えた結果がこれ。

 

ここまで読んでくれた人は感じてると思うけど、中途半端にクサいのが私の文章の特徴。何年後かに見たら恥ずかしくて死にたくなるであろう文章を書いてしまう。まあでも自分の文章、割と好き。じゃないと大学4年生になるというところでブログなんて始めないよね。

 

ブログはアメブロが流行った高校生のころからずっと自分もやってみたいなと感じていた。文章を書くのが好きで、考えるのも好きで、それを発信したいという気持ちもあった。でも、私のブログなんて誰も読まないだろうし「お前のブログなんて誰も求めてねえよ調子のんな」って思われたくないし、なんてことを考えてなかなか始められなかった。自意識が強い根暗。

それがなんで今更始めることにしたかと言うと、考えが変わったから。

読んでくれる人はきっとどこかにいるし求めてない人は気にも留めないだけだし、気にしたってしょうがないじゃん。書きたいなら書けばいいじゃん。最近そう考えるようになった。だから始めることにした。

考えが変わった理由もわかってるんだけど、それはまた今度。

 

こんな感じでつらつらと、言いたいことを適宜。

義務感は感じたくないから頻度は決めない。

たぶん人生観のような話が多くなると思うけど、アニメとか映画とか大学とか日常の話もする、と思う。

好きにやってるので気が向いたらまた読んでくださいな。